こんにちわ、ぜつえん(@zetuenonly)です!
やあやあ、ここ数年はキャンプが大流行だ。
さらに一人でするソロキャンプも急成長でブームがきている。
ブームの良し悪しは時々だが、趣味を楽しむ人が増えればその業界は盛り上がって、道具も増えれば遊び方も増える。それは嬉しい事なのだ。
結果、ぼくを含めSNSでもソロキャンパーを名乗る人をよく見かけるようになった。
でも、みんながしてるソロキャンプと自分のしてるソロキャンプが少し違うことに気付いてしまったのだ。
今回はぼくがしてるのは一人(ソロ)キャンプだけど、独り(ソロ)キャンプだった話をしていこう。
スポンサーリンク
一人ではなく独り
一人でキャンプをするから、ソロキャンプだ。そんなことは知っている。
でも、“ひとり”ってなんだって話。
言葉遊びでしかないんだけど、”ひとり”で変換すると「一人」と「独り」が出てくる。
同じひとりでもニュアンスはやや異なるようだ。
一人:人数が一(いち)であること。その人しかいないこと。英語では[One]
独り:その人しかいない。仲間や相手がいない。英語では[Alone,Only]
広義では一人で、より寂しい状況や孤独感のあるシーンで使うような閉鎖的な言葉が独り(ひとり)のようだ。
つまり、一人(ソロ)キャンプをさらに細分化すると、その中には独り(ソロ)キャンプも存在するよね。ぼくはそっちだったわ、という話だ。
スポンサーリンク
キャンプ=ソロキャンプ
古参ぶる気もキャンプ歴が長いわけでもないが、ぼくがキャンプを始めた当時はソロキャンプという言葉は一般的では無かったように思う。
それでもキャンプ=家族や友人とわいわいやるモノと言うイメージはあって、一人でするキャンプは少数派である認識はあった。
ぼくがキャンプを始めたきっかけは、長期間の自転車旅の宿泊手段としてのキャンプであり、焚き火もしなければテントを張って、ご飯を食べて、寝る手段のキャンプだった。
複数人で旅をする気も無ければ、一人以外の旅に魅力を感じてないと言えば強気だが。そもそも友達もいない必然の一人旅であり、必然のソロキャンプだ。
一人旅の中で外で寝泊まりする楽しさに目覚め、手段ではなく目的としてキャンプをするようになった、もちろん一人で。
ソロキャンプがスタートだったから、ぼくの中ではキャンプ=ソロキャンプという図式が当たり前に成り立っていたように思う。一人ですることへの抵抗もほとんどなかった。
完ソロボッチなソロキャンプ
そんなスタートだからか、一人の時間を楽しむことができるのがソロキャンプだと思ってる。
一人だから良いのであって、複数でするキャンプは違う遊びだと感じてる。
話す相手もいない、悩みを相談する相手も、道具を貸して助けてくれる人も周りには一人もいない。というか、キャンプ場に自分以外いない完ソロ状態も多い。
そんなキャンプが好きで、そんなキャンプ場を好んでキャンプをしてきた。
次第にソロキャンプという言葉が一般化して、自分はソロキャンパーなんだなと自覚するようになった。
当然、孤独を楽しむのがソロキャンプだと思ってたし、思ってる。
「ソロキャンプ 寂しい」
このブログの検索ワードとして、「ソロキャンプ 寂しい」というワードでのアクセスが割と多めにある。失礼だがちょっと何言ってるかわからない。
寂しさや辛さといった孤独感を楽しんでこその一人遊びであり、ソロキャンプだと思っているからだ。
最近こそ減ったが「一人でキャンプして寂しくないの?」と聞かれることは多い。
ぜつえん「一人が気楽でいいんですよー」
相手「でも本当はだれかとキャンプするのがいいんでしょ?」
なんて言われた日には生態系が違う人間と話してる気分になる。
心が独り
ぼくがソロキャンプに求めているのは、
人間が一人でするソロキャンプの中の、頼る相手も仲間もいない孤独な中で自然を楽しむ独り(ソロ)キャンプである。
願ったりの独りキャンパーだ。
一人でも、閉鎖的で他者を求めることのない独りキャンプなのだ。
独りの答えのない自問自答を繰り返したり、仕事や生活のふとしたことを思い出しては「ああでもないこうでもない」と行ったり来たりしながら自然に溶け込んでいく時間が好きなんだ。ぼくは。
人間が一人でいるソロキャンプ、その中で精神的にも独りを求めてるのが独りキャンプ、そう心が独りだ。
誘う友達がいない
とカッコよく独りのことを書いてはみたものの、元をたどれば自分に友達が少ないから一人を強いられてただけだと気付く。
一人でいる時間が長いと一人が加速して、独りになるのだ。
そういう人生を過ごしてきたから積極的に人と関わりたいとも思わないし、友達も多くない。でもそれが好きだと思っているから問題はない。
陽キャのソロ〇〇
友達がいないぼっちだから、必然のひとり遊びであり、それ以外の選択肢はそもそもない。したくても誘う相手がいないのだから。
そんなぼっちな陰キャが旅やキャンプをしてるのを真似した陽キャが“ソロ〇〇”とカッコよく名前を付けてるだけなのだ。
陰キャたちはあえてソロなんてつけたりはしない。当たり前にソロなのだから。ソロ以外ないのだからね。
スポンサーリンク
ソログルとか、ふたりソロキャンプとか
ところで、最近のツイッターを見てると“ソログル”という言葉を見かける。
ソロキャンパーが集まって、グループキャンプをすることだと思う。
「えっ、独りでキャンプするからソロキャンプなのに、集まったらグルキャンじゃん!ソロとは・・・」
すげえ言葉が生まれたもんだなと思ってる。
“ふたりソロキャンプ”は漫画だが、そんな発想が出てくること自体が、ソロキャンプブームの影響で。
つまりは、すげえ漫画が生まれたもんだなって思っていつも読んでる。
どちらにしてもそれが独りとは思えないし、隙あらば集まる思考が陽キャかパリピである。
分母が増えれば名前が付く
そろぼっちな独りマウントをとってるような書き口になったが、自分が一人よりも独りだったことに気付いただけの話で、他意は無い。
キャンプをする分母が増えれば、その中の違いで細分化されて名前が付く。ソロキャンプ、ファミリーキャンプ、グループキャンプというように。
ソロキャンプも分母が増えてきたから、ソログルやふたりソロキャンプ、完ソロ、独りキャンプと名前が付けられる。
キャンプをしてるぼくは強いて言うならソロキャンパーの中の独りキャンパーだと気付いただけの話で、言葉遊びがしたいだけのただのキャンパーに過ぎない。
ソロとそれ以外は別物
先ほども書いたが、ソロキャンプと複数人でするキャンプは別物だと思っている。
楽しみ方も、得られるものも、キャンプ場の選び方も変わってきて、目的が変わるからだ。
どっちがいい、ではなくまるで別物。
「ディズニーランドか、温泉旅行かどっちが好き?」くらい別物だ。
ディズニーランドに行きたい時もあれば、温泉旅行が良い時もある。人によっても回答が違う。なぜなら目的が違うからだ。
ソロキャンプとそれ以外のキャンプはそのくらい違うのだ。
スポンサーリンク
独りが好き、キャンプが好き
つまりは比較できるほどにソロキャンパーが増えて、わいわいしてるソロキャンパーを見て、自分は孤独感の強いソロキャンプをしてるのではと、時代に炙りだされるように気付いてしまったというわけだ。
ぼくは独りが好きだ。
独りが好きな人がキャンプも好きだった。そんな話でしかない。
まとめ
遊ぶ人が増えることでぼくと同じように当たり前だったものにもやもやしていた人もいたのではないだろうか。
以前、ブロガーの記事で「横のつながりがあるから、独りではなく一人だ」という内容を見たことがある。
どうやら自分はその逆で、ブログもキャンプも人生も、一人ではなく独りだったようだ。
でもそれで良い、それが良いのだ。
スポンサーリンク
コメント
自分も自転車旅の宿泊手段としてのソロキャンパーであり「独りキャンパー」ですがなるほどと思いました。
昨今ブームになってる「ソロキャンパー」は過ごしている時間の多くを
独りを楽しむためでなくSNSで友人と共有するために費やしているのかなーと思ったりもします。
ゆるキャンの描写もそうですが「ソロキャンプしている自分」をリアルタイムで誰かと共有するためにやっている側面が大きいと言いますか。
キャンプ中は日常の人間関係を全て切り離したい、電話もメールもlineも来ないでくれ!と願ってる自分のような人間とは全然違うのだなーと思います。
のはらす様
コメント頂きありがとうございます。
ぼくもどちらかというと独りになりたいキャンプです。
仰る通り、昨今のソロキャンプブームで見かけるものが他社とのつながりを求める手段に思えて違和感を覚えてました。
自分の気持ちを整理することも大事かなと思っての記事でした。共感してもらえると嬉しいです!